聖書のメッセージ(年間第19主日 2022年8月7日)

この日曜日の聖書朗読のテーマは、「キリスト者の希望」です。 それは、私たちが何ができるか、何になれるかということではありません。それは、神が私たち一人ひとりに向けて持っている愛に基づくものです。希望は、イエス・キリストによって祝福された豊かな恵みにその源があります。希望とは、イエスに出会いたい、イエスを知りたいと望むことです。希望とは、イエスと共に人生の大いなる旅に出る決意をすることです。神は私たちを喜びと永遠の幸福のためにおつくりになったからです。実際、キリスト者の希望は、「わたしは、時代の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」(マタイ28章20節)というイエスの言葉を信じることで、躍動的なものとなります。希望は、キリスト者の精神的価値の源泉です。

(ルカ12章32-48節からのメッセージです。)

神父

<ルカ12章32-48節>

 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。 あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

 そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、 主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。 4人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、 その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

0コメント

  • 1000 / 1000