聖書のメッセージ(待降節第1主日 2022年11月27日)

待降節の季節が始まります。待降節は、父である神からの偉大な贈り物の意味を考えるために与えられています。父である神は私たちとともに生きておられ、私たちを父である神と調和させるために御子を遣わされました。つまり、父である神は人類の幸福のために計画を立てられましたが、人間の罪によってその計画が中止されたと言えるでしょう。そこで父である神は、この計画を再び実現するため、人類を神との調和に戻すために、そのひとり子を私たちに送ってくださいました。待降節の間、私たちは父である神のこの計画、すなわち救いの計画の実現を待ち望みましょう。私たちの期待は不安ではなく、希望と愛です。

(マタイによる福音書24章37~44節からのメッセージです。)

神父

<マタイによる福音書24章37~44節>

 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 38洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

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