聖書のメッセージ(2021年9月12日)
使徒ヤコブは私たちに、信仰生活について語っています。福音書の中で、イエスは私たちに道を示してくださいました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」。この一節は、私たちの人生の意味の価値観と対峙しています。自分の十字架を背負うのはなぜでしょうか?イエスは私たちに、「救いは十字架を通して来る」と言われました。イエスは私たちのそばにおられ、私たちが十字架を運ぶのを手伝ってくださいます。イエスに従うために、私たちは、私たちを取り巻く苦しみと悪を恐れてはなりません。イエスが復活なさったのはこの十字架を通してでした。主が言われたように、主は私たちと毎日ともにいてくださいます。そんな主に、私たちは感謝しましょう。 (マタイ28:20)
(ヤコブ2章14~18節、マルコ8章27~35節からのメッセージです。)
ロジェ・プロヴァンシェ神父
<ヤコブ2章14~18節>
わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。
<マルコ8章27~35節>
イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」 するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
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