聖書のメッセージ(2020年9月13日)

 ある日、ペトロはイエスに質問をします。「何回、赦すべきでしょうか?」。イエスの次の返答は有名です。「七の七十倍までも赦しなさい」。

 赦すことは簡単ではありませんが、イエスは弟子たちに赦すように命じられ(お願いし)ました。赦しは、復讐より良いものです。赦すことは、イエスの手の中に問題をゆだねることです。赦すことは、人の失敗を見ないことではなく、また、その失敗をなかったことにすることでもありません。

 いいえ、それは単純に、起こったことにもう捉われないということなのです。赦すことは、怒りをかたわらに置き、心を穏やかにしてくれ、すばらしく健康的で、私たちをさらに幸福にしてくれます。「穏やかな心は肉体を生かし、激情は骨を腐らせる」(箴言14章30節)

 さらにもっと重要なのは、人を赦すことは、神が私たち自身の罪を赦してくださるために必要不可欠なことなのです。

ロジェ神父

(マタイによる福音書 18章21節からのメッセージです)

<マタイによる福音書 18章21~35節>

 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」

 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。

 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』

 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

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